18 ホリエモンの本を読んだ
最初、わたくしは思っていた。
厳しい教師がいる。生徒を罵り倒す、体罰をする、炎天下を吐いても走らせる。
心が壊れてしまった子もいる。
それはいかんだろ。
声を上げれば本人も思い至るだろう。学校や教育委員会という体制も気づくだろう。
考え直すだろう。
厳しい指導をやめるだろう。簡単なことさ。
しかしそれは大きな誤りだった。
誰もそれを「いかんだろ」と思わなかったのだ。
なんで? なんで? なんで思わないの?
とわたくしは行きあぐねてしまったのである。
で、本を読んだりしたんですわ。
いくつか読んで大変に勉強になりました、この問題はそんなに簡単じゃないということがよくわかりました。
それについてはきっと少しずつ書いていくことになると思います。
それで今回は、最近、堀江貴文氏の『すべての教育は「洗脳」である』ってのを読んだのでその本について少し。
そも学校というものは、産業革命時のイギリスが、過酷な工場での労働から子どもの命を守るためと、工場での有用な労働力を育成するために作ったんだそうな。
そうか、産業革命か。イギリスからなのか。
ま、日本の藩校とか寺子屋なんてのも、産業革命こそなかったけれど社会の成立に必要な人材を育てるのが目的だったに違いない。そう考えれば現代の学校だって目的は同じ筈。
とにかく、堀江氏は
……なぜ学校は恣意的な常識を人に押し付けようとするのか? その常識によってどんな人間を育てようとしているのか?
一言でいえば、従順な家畜である。…
……今の子どもたちも、雇用者にとって管理が楽な「望ましい労働者」としての規格からはみ出ないよう、「常識」をせっせと教え込まれているのである。……
などと書いている。
ぶっ飛んでるとか極端だとかの表現は使いたくない(だって基準が固定されているよね、それ)けど、わたしはちょっと違和感をおぼえるんだ。
確かにそうかもしれない。ほんとにそんな感じだよ。
だけどね、学校とか教師は、露ほどもそう思っていないんだよね。自分たちのやっていることを。
機械じゃなくって人間が、露ほども思わず意図せず、なんでそんな教育をしちゃうの。それはおそらく彼らもまたそのような教育を受けてきたから。
彼らは人間だ。そこんとこもうちょっと、何とかならんの。
と、わたくしは思っているのである。(ま、堀江氏はそんな学校はとっとと見限れとおっしゃるが。)
教育は洗脳だ、とはある面その通りだと思います。それでわたしはなぜみんなが「いかんだろ」と思わないことを、強く「いかんだろ」と感じるかと考えるに、わたしはそのようなことを「いかんだろ」と感じるように、まさに洗脳されたからかもしれない。
堀江氏は自分が中学の時欠伸しただけで殴られたエピソードを書いてたけど、わたしなんて小学1年生の時の先生に強烈に、「人と同じで安心するな」「形式にとらわれるな」「自由になれ」「既成概念に惑わされるな」「世間の価値基準ほどあてにならんものはないぞ」みたいなことを徹底的に刷り込まれたもんね。その後もたまたま、わりと「みんなと一緒になって互いを高め合おう」的な発想のない教師ばかりに当たったと思う。
教師だっていろんな人がいるんだよ。
きっとわたしと同じく「それはいかんだろ」と思う人だっている筈だ。今は違っても、いつか「ひょっとしてこれって変」と思い始める人だっている筈。
もうちょっと何とかならんの。とあがいている次第であります。
『すべての教育は「洗脳」である』、なかなかおもしろい本でした。
前半部分の、学校というものに対する堀江氏の定義づけに関しては、特に教師には読んでほしいものだ。
わたくしが一番教えられたのは 、
ピコ太郎って小坂大魔王だったんだ!
という一事でした。
知らなかったよ、教えてくれてありがとうホリエモン。