13 俺は全体主義者だ

ここでひとつ、別の話を。

 

1999年にアメリカで「コロンバイン高校銃乱射事件」が起きた。

何にしろ、高校に銃を持った生徒(或いは元生徒だったか)がやってきてがんがん乱射して少なくない数の人が亡くなった事件だ。ったと思う。

 

わたしが驚いたのは、あの日テレビを見ていて(確かNHKニュースだった)そこに映し出された映像だ。

犯人は、ナチスを彷彿とさせる反社会的なある音楽グループ(もしくは歌手)のファンで、よくその歌を聞いていたということです(実際はそうでなかったらしいじゃんね)、みたいなアナウンサーの台詞のあとに出てきた映像、ハーケンクロイツ風の文様やらミリタリックなコスチュームで歌う若者、その歌詞の字幕が

「俺は全体主義者だ」

というものだった。この字幕にびっくり。

この字幕をこれ見よがしに出すテレビ局にびっくり。

 

だってさあ、アメリカではいざ知らず日本ではさ、

全体主義って

ちっとも、全然、まーったく、悪いことじゃない。んだもん。

全体主義、おういいね、良い事だ、立派なもんである、ってみんな思ってるもん。わたし知ってる。みんな、って、大変に多くの人々が、というほどの意味だけど。

日本で「全体主義」を独裁国家とか権力の乱用とかにすっと結びつけられるのは、本当にごく一握りの人々だと思います。この単語が固有名詞寄りな一般名詞だと認識しない人が圧倒的多数だと思うし、純粋な一般名詞として、全体で何かを成し遂げることは素晴らしい、全体で志をひとつにすることは素晴らしい、と好意的に解釈する人はかなり多いと思う。統計とった訳じゃないけどさ。国民の過半数は超えると思う、少なくとも「全体主義は悪いことじゃない」と感じている人は。

となると、日本において、このパンクな歌手が(これには感心したんだが、流れてきたのは久しく聞くことのなかった古風な「パンク」音楽だった)意図する「まあ何て反社会的ないかれた危険な人物なの」という印象は報道からはちっとも発信されず、「おや変な恰好してるがなかなか頼もしい好青年ではないか」と解釈されちゃうじゃないの。何のかんの言ってやる時にはきちっとやる奴なんだな、とか。

 

間抜けな報道。とわたくしは呆れた。

日本人の「全体好き」の脅威を知らないな。

何で日本人は「全体」が好きなのか、いろんな理由はつけられると思いますが、わたしが一番の原因に挙げるのは、教育です。

 

ひとりがランニングの手を抜いたことを部員全員で謝る、のがまさに全体主義だよね。

息子が学校からもらってきた学級通信の、ひとりの生徒が合唱コンクールに関して書いた心構えの文章には、4行のうちに4回「全体」が出てくる。

「全体」は大切なことだと自然に思わせるまで、教育が行き届いている訳だ。

 

教える側は、そこに疑問や違和感を持たないのか。持っていてもそれを押し殺さねばならない事情があるのか。

はたまた、教える側もまた「全体」に縛られて独自の発想ができないのか。そうだとしたら、教えられた者もそのまま「全体」に縛られていって、そのうち教える側に回り、それに教えられる子どもは……、って教育の連鎖だよね。もしかして江戸時代あたりから繋がっているのかな。

怖いね。